「‥‥それってマジな話?」
「マジよ。おおマジ。まあ、信じられないのも分からなくはないけどね」
母さんはコーヒーを一口飲みながらそう言った。俺は、今母さんが言った言葉が理解できなかった。いや、言った意味は分かった。ただ、それを納得するのに時間がかかった。
母さんはギタリストで、隣の男はドラマーなんだそうだ。
「つまり、バンド組んでるって事ですか?」
美希がシュークリームを口にしながら聞く。母さんは大きく頷いた。
「そっ。他にも仲間はいるのよ。ヴォーカルとベースがね。ちなみに平均年齢42歳」
俺達は駅近くのレストランにいた。ここならゆっくりと話ができるという理由からだった。確かに、あんな所で突っ立ったままでは、母さんがバンドを組んでるなどという話、理解できなかった。
美希が頬についたクリームを手ですくいながら、母さんを見る。
「こんな言い方失礼かもしれませんけど、よくその歳でバンドやろうって思いましたね」
「音楽に歳は関係無いと思うのよ。ローリング・ストーンズだって、60過ぎてもライブやってるじゃない?」
美希の言葉に、母さんは笑顔で答えた。
まだ完全に状況が飲み込めてない俺に、ドラム(らしい)の男がにっこりと笑って、俺に握手を求めてくる。
「大丈夫です。私にも妻子がいますし、不倫はしてませんよ。今は、正直ドラムが恋人ですから」
「‥‥マンションの前で妻に言い訳するのがどうとかって」
「バンド活動の言い訳ですよ」
「‥‥」
こんなに落ち着いて言われると何も言えず、母さんに視線を合わせた。
「最近よく出かけてたのは、そういう理由?」
「そっ。練習してたのよ。ごめんね、心配かけて」
母さんは俺の頭を撫でた。何だか、物凄く恥ずかしかった。高校生にもなって母親から頭を撫でられた事と、今まで随分と勘違いしていた自分に。
「それで、どんな音楽やってるんですか?」
美希が身を乗り出す。不倫でないと分かって安心したのだろう。それに、美希は音楽が大好きだ。
母さんは左手をチョコチョコと動かしてみせる。
「ロックよ。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッぺリン。クィーンやディープ・パープルなんかもよく聞いたわ」
「他にも、ブラック・サバスとか、サンタナ、ストーン・ローゼスも聞いたね」
ドラムの男が口を挟む。随分と詳しい。どれも古いバンドばかりだ。しかし、どれの母さんのCDラックに置いてあった物だ。
「母さんの部屋にたくさんCDが置いてあったけど‥‥」
「そう。昔好きだった音楽が忘れられなくてね。意外?」
「思いっきりね。だって、聞いてるところ見た事無かったし」
「親子なんてそんなもんよ」
「‥‥かもね」
「ちなみに、剛は今何聞いてるの? 洋楽のロックは?」
「よく聞くよ。オアシスとかボン・ジョビとかグリーン・デイとか」
「最後はパンクじゃない」
母さんは口を尖らせた。何だか、母親とこうも話が合うというのは怖い。特に音楽なんていう、時代をもろに反映させるものに関して合うと、親と子という感じがしない。
複雑な顔をしていると、母さんが笑って席を立った。
「さあ、もう行きましょう。近い内にライブがあるのよ。練習しなくっちゃ」
「‥‥ライブ? マジかい」
「‥‥美和子。それは本当なのか?」
「ええっ。今まで黙っててごめんね、卓也」
母さんは舌を出して笑った。父さんは喜んでいるのか怒っているのか、複雑な顔をしている。それはそうだろう。母さんがロックバンドをやっているなんて話、どう受け取っていいのか分かるはずがない。
家に帰った俺と母さんは、父さんに全てを告げた。勿論、父さんはすぐには理解できなかったが、事実がこうなのだから仕方なかった。
俺達3人は居間のソファに横になって座っている。
母さんは続ける。
「ねえ、卓也。昔の事覚えてる? よく2人でライブを見に行ったじゃない。ローリング・ストーンズとか。ブラウン・シュガー、2人で歌ったわよね」
「ああっ、覚えてる。当時はカラオケなんて無かったから、路上とかで歌ってたな。でも、今になってバンドを組むなんて考えてなかったよ」
「いつかはやってみたいと思ってたの。でも、結婚して剛が生まれてからはなかなか余裕が無くて。それで、今になってやっと実現できたってわけ」
「そうか‥‥。でも、どうして言ってくれなかったんだ? 言ってくれればこんな誤解を招く事も無かったのに」
「ごめんね。でも、いきなりバンド組んでるって言っても、多分理解してくれないと思って。あとは、驚かそうと思ってね」
母さんは含み笑いをした。父さんは膝に肘を置き、深いため息をついた。
「そうなんだ‥‥とりあえず安心したよ。不倫じゃなくて」
「不倫させたくなる程、ダメな亭主なの? あなたは」
母さんはそんな父さんをギュッと抱きしめた。父さんは母さんの胸の中で目を閉じる。両親の仲がいいのは結構な事だが、息子の目から見ると恥ずかしくてたまらない。
「ほらほら、剛もいらっしゃい。心配させたお礼よ」
母さんが優しい目で俺を見る。
「いいよ。俺、もう高校生だぜ」
「いいからいらっしゃい」
母さんは俺もギュッと抱きしめる。母さんに抱かれる父さんと俺。何とも複雑だが、でも悪い気はしなかった。また、いつものように暖かい家庭が送れるのだと思うと、素直に嬉しかった。
子猫を手懐けるかのように、母さんは2人の男の頭を撫でる。
「嬉しいわ。2人して私の事心配してくれるなんて」
「心配じゃなくて、疑問に思ってたんだよ」
「心配だから疑問に思ってくれたんでしょ? 卓也、私はあなたと結婚できて良かったわ。剛、私はあなたを生んで良かったわ。本当に嬉しい。だから、ライブ来てね」
「‥‥」
「‥‥」
俺と父さんは黙って、母さんの胸に顔を埋めた。
何はともあれ、俺はホッとしていた。母さんは不倫なんてしてなかった。とりあえず、それだけで満足だった。
それに、俺は母さんの新しい面も知る事ができて新鮮な気持ちだった。今まで母親としてしか見ていなかった女性。勿論、今でも母親なのだが、それ以外の顔も見る事ができた。何だか、初めて1人の人間として見たような気がした。
もしも、生まれてきた時代が一緒だったなら、恋の1つくらいしていたかもしれない。
「ねえ、母さん、ギタリストなんでしょ? どんなギタリストに憧れてるの?」
「そうね。やっぱり、リッチー・ブラックモアとかイングヴェイ・マルムスティーンとかかな?」
「‥‥早弾き目指してんの?」
「まだまだ未熟だけどね」
母さんはコロコロと笑う。何だか、随分と若く見える。やっぱり好きな事を語っている時は誰もが輝いている。俺は高鳴る母さんの心臓の鼓動を聞きながら、目を閉じた。
「剛。好きな曲は? って聴かれたら、クイーンのボヘミアン・ラプソディって言うのよ」
「何で?」
「ママ〜♪ ウウウ〜♪ ってね」
「何だよ、それ」
「楽しみだね。ライブ」
「ああっ」
俺と美希は小さなライブ会場の中で、笑い合った。その隣では、父さんが必要以上にジュースを飲んでいる。
会場は小さく、せいぜい50人が入れる程度だ。だが人は結構入っていて、若い人から母さんと同じくらいの人もいる。まさしく老若男女という感じだ。
ステージにはドラムセットとマイクスタンドが置いてあり、会場の静かな熱気を浴びている。
「ねえ、父さん。昔の母さんってどんなだったの?」
俺は聞いてみる。父さんは小さくため息を漏らし、それから笑顔になった。
「音楽が大好きだったよ。デートはほとんどライブだったり、レコード集めだったりした。ビートルズ来日の時はまだ2人共子供だったが、はしゃいだよ」
「ふーん。全然知らなかった」
「結婚して、お前が生まれてからはライブにも行かなくなってね。だから、もう卒業したと思ってたんだ。それが、こんな形で裏切られるなんて‥‥微妙だな」
そう言うと、父さんはまたジュースを飲んだ。
その時、会場が暗くなり、小さな歓声が上がった。それと同時に、母さんが出てきた。黒のレザージャケットを着て、手にはギターが握られている。一昔前のロックバンドの衣装のようだ。
「うわっ、格好いい! とても剛のお母さんには見えないわ」
「まったくだな」
母さんの他にも女性がいる。歳は母さんと同じくらいだ。手にはベースがある。
この前出会ったあの男の人はドラムステッキを持って、ドラムの後ろに座り、また見慣れない男(これまた50くらいの人)が、マイクスタンドの前に立つ。
会場が静かになり、そして、母さんの一音で演奏が始まった。
若くないからか、静かな演奏だ。その音楽は後期のローリング・ストーンズに近い、シンプルなロックだ。その中で、母さんはブラックモアに近い結構なクラシカルフレーズを弾いてみせる。ステージに立つ母さんは、俺のよく知ってる人であり、同時に別人だった。
「凄い! 凄い!」
美希はピョンピョンと跳ねる。父さんもいつもとは違う母さんの姿に見とれているようだった。
男が歌い始める。みんな、とても上手だ。会場は静かに、でも確実に盛り上がっている。俺も段々とノッてくる。
今まで、ただの母親としか思っていなかった母さんが、今たくさんの人の視線を浴びて、ギターを弾いている。何とも格好良いではないか。俺はこんな母親を持って幸せだ、と素直に思った。
だって、自慢できるだろ? こんなに格好良い母親がいるなんて。
終わり
あとがき
この作品は私が本格的に音楽に目覚めた事を記念(?)して書いた作品です。作品の中に出てくるバンド名、曲名は全て実在のものです。
ですが、お話自体はフィクションです;; うちのオカンもこんな感じだったらいいんだけどなぁ、と思いますが、残念ながらうちのオカンはエディット・ピアフのようなシャンソンが好きなのでした。‥‥今、シャンソンって聴かないなぁ。
家族愛と私の音楽に対する熱い情熱を描いた作品です。個人的にすんごく好きです。